気まぐれオルフェといなかの茶人
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お茶のこと

六月のお茶 象がカタツムリ⁈

6月はスッキリと切り合わせの風炉釜に桑小卓を取り合わせ、涼しさを演出します。

掛軸は富士の画賛。富士山の清々しい稜線は、見るものにその美しさと気品を感じさせます。地方でもその形が似ていると「○○富士」と名付けた山が数多あるほど、日本人にとって憧憬の山です。日本一というめでたさは勿論ですが、中空とをきっぱりと分かつ稜線の緊迫感が涼しさを呼び、夏にもよく富士の画を好んでかけます。

この掛け軸は、表千家の代々の茶家堀内家の初代仙鶴宗匠(1675年ー1748年)の画賛を、十二代の兼中斎宗匠(1919年ー2015年)が写されたものです。賛は、

「今や曳く不二のふもとの蝸牛」

と俳句が書かれています。仙鶴宗匠は俳人としても大変著名な方で、同時代の茶人たちに大きな影響を与えたと言われています。では、この俳句の句意は…。

よく知られたことですが、室町時代から江戸時代にかけて象が数回にわたって日本にやってきました。当時の中国の貿易商が日本のトップ(為政者)への献上物として連れてきたそうです。この句が詠まれた頃といえば8代将軍徳川吉宗の時代ですから、1728年にあった象の話になります。広南(今のベトナム)から長崎に2頭(オス・メス)の象が上陸しました。メスの象は3か月後に長崎で飼育中に死亡し、オスの象だけが翌年江戸の将軍家に献上されることになりました。長崎を3月に出発した象に対し、通過するところの各藩には幕府から様々な指示が出されました。倹約に努めていた吉宗は、「象の宿舎には大きめの厩をあてがってほしいが、新築をするほどの必要はない」と御触れを出しますが、そこは他の藩に劣るわけにはいかないとばかりに新しく作るなど、一事が万事そのように各藩競って象を迎えたそうです。各地は象の話でもちきりになり、そして4月16日に大阪、4月26日には京都に到着。京都では中御門天皇がご覧になるため、象に官位が与えられたのではないかという噂まで流れました。そのように日本中が象で大騒ぎしている時に詠まれたのがこの俳句です。

「皆が大騒ぎして迎えている象の一行だが、ほら見てごらん。日本一の富士の山に比べたら、麓にいるのはまるで小さなカタツムリのようではないか。」

と、世の中の風刺と戒めを含めたものでした。

画の中央下左寄りに、小さな点々としたものがありますが、近くに寄ってよく見てみると確かに象と何人かの荷物を運んでいる人が描かれています。面白いですね。このように時代背景や出来事を知っていると、お茶は格段に楽しいものになります。そしてそれを現代に当てはめてみると、思い当たることも多々。象だと思っていたことが、俯瞰してみれば実はカタツムリ程度の小さなことだった、ということも。