気まぐれオルフェといなかの茶人
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お茶のこと

十二月のお茶 宗旦狐

師走のお茶

12月になると、床には「無事」や「今年先ずもって無事芽出たく千秋楽」など、この一年を締めくくるお軸が掛けられます。さてこの2020年の世の中はいかがだったかといえば、言わずもがな新型コロナウイルスに翻弄された一年でした。多くの方が亡くなられたり、治療の最中であったり。今なお感染拡大はなかなか収まりそうにありません。このような中で何とか工夫をしながらも、茶の湯を続けてこられたことは感謝すべきことと思っています。

何をもって無事というのでしょうか、何をもってめでたいというのでしょうか。掛軸には「愛でたく」を「芽出度」と書かれています。新しい芽が出るという意味です。さまざま難儀のあった一年を何とか終えて、次の一年への新しい希望を持たせてくれる言葉でもあります。

宗旦狐

年の終わりに「宗旦狐」という面白い(最後はちょっとかわいそうな)お話をさせていただきます。

現在の表千家のお家元は、2018年に宗左を襲名された15代猶有斎宗匠です。それにともない先代の而妙斎宗匠は宗旦を襲名されましたが、この話は千家3代目の元伯宗旦宗匠の時のお話です。

あるとき京の相国寺で元伯宗旦宗匠の茶会が開かれました。宗匠の見事なお点前は、招かれたお茶人さんたちはもちろんのこと、普段からそばに仕えている弟子たちでさえ見とれるほどでした。ところがそのお点前をされていた宗匠がお帰りになった後、また宗旦宗匠が現れて、遅刻したことを詫びられました。そんなことが何度か続き、弟子たちは宗旦宗匠の偽物がいるのではと考えはじめました。

そこで後日、茶室に宗匠が現れた時を見計らって、弟子たちは宗旦宗匠ご本人が自宅に居られることを確かめたうえで、偽物の宗旦宗匠を問い詰めました。すると偽物は狐であると素直に白状しました。それの言うことには、「わたしは寺の藪に住む古狐です。ずっと宗旦宗匠のお点前にあこがれており、いつか自分もそのような点前をしてみたかったのです。もう二度と悪さはいたしません」と、詫びて狐の姿となって逃げかえりました。弟子たちは宗旦狐の腕前に感心してそれ以上追うことはしませんでした。

時代はくだって幕末のこと。宗旦狐は雲水に化けて、やはり相国寺で勉強をしていました。他の雲水たちとともに座禅を組み、托鉢にも行き、時には寺の財政難を立て直すために尽力しておりました。寺の近くの家で碁を打つこともありました。碁に熱中するあまり狐のしっぽを出してしまうこともありましたが、人々は狐の正体を知りつつも付き合っておりました。

ある年のお盆のこと。門前にある豆腐屋が資金繰りがたたず困っていました。宗旦狐は、蓮の葉をたくさん集めてそれを売り、それで得たお金で大豆を買うように勧めました。豆腐屋はそのおかげでなんとか店を立て直すことができました。お礼をしようと考えた豆腐屋は、狐の大好物であるネズミの天ぷらを作って宗旦狐に贈りました。しかし宗旦狐は、それを食べると神通力が失われると言って遠慮しました。が、あまりにも大好物であったため、ついに我慢できずにそれを食べてしまいました。その途端、宗旦狐は元の狐の姿に戻り、それを見た近所の犬たちが激しく吠えはじめました。狐はとっさに藪へと逃げ込んだのですが、慌てたために井戸に落ちて命を落としてしまいました。(別の説では、猟師に撃たれたなどともあります。)

相国寺は寺のために尽くしてくれた宗旦狐の死を哀れみ、宗旦稲荷として祠を築き、狐を騒動の守護神としました。現在でも相国寺境内に宗旦稲荷が祀られています。

宗旦狐の末裔が今もどこかのお茶会に紛れ込んで、茶の湯を楽しんでいるかもしれませんね。